さびしいということ

ナンパにまつわる都市伝説として、「身だしなみの汚い女はやれる」というものがある。
 
なぜこんなことを書くかというと、後輩の書いている卒論の中にナンパ師の話が出てきたからだ。
 
その話を読むたびに、もやもやした気持ちを感じていた。
 
彼(ナンパ師)は一夜を過ごした女性たちを人間として扱っていたのだろうか?
 
でも、なんで自分がそれをいちいち気にするんだろうか?
 
☆☆☆
 
うちの家は貧乏だった。
 
綺麗な家というのがわからなかった。
 
☆☆☆
 
一緒に修論を書いている友達が邪念を絶つと言って始めた大掃除を手伝った。
 
きれいになった友達の部屋を見て、わあすごいと思ったので自分の部屋も掃除した。
 
無駄な書類、無駄なものがいっぱい出てきた。
 
掃除していると、なぜか腹が立ってきていた。
 
「何でこんなものを!」といいながらゴミを捨てていた。
 
掃除しながら、ゴミに埋もれた自分を探しているような気がした。
 
ゴミではなく、人間である自分を。
 
その夜、24年間生きてきて、初めて自分の部屋がきれいになったと思った。
 
☆☆☆
 
ゴミのように扱われている人を見るとつらかった。本当は、そこに自分を見ていた。
 
☆☆☆
 
今朝、部屋に花を飾りたいと思った。
 
☆☆☆
 
  
われらが生きることを愛するのは、生きることに慣れているからではない。愛することに慣れているからだ。
 
ニーチェ、『ツァラトゥストラかく語りき』、読むことと書くことについて)